スポンサードリンク
バスケット漫画といえばスラムダンク。
これほど面白いスポーツ漫画に私はまだ出会ったことがありません。
そのスラムダンクの中でも圧倒的人気を誇るキャラクターが湘北高校バスケ部のキャプテン・赤木剛憲。
主人公・桜木花道をバスケ部に誘った赤木晴子の実の兄です。
といっても、顔は全く似ていません。
同じ両親から生まれてきたとは思えないくらい似ていないのです。
まー、漫画ですからね。
何でもアリですよね。
そんな赤木剛憲がスラムダンクのその後、どうなったのか気になりますよね?
まとめましたのでどうぞご覧ください!
スポンサードリンク
スラムダンクその後の前に赤木剛憲の実績
まず、スラムダンク時の実績をまとめていきましょう。
赤木剛憲が高校3年時に富ヶ丘中学のスーパープレイヤー・流川楓と運動神経抜群の超不良・桜木花道がバスケット部に入部。
その後、ケガでバスケができなくなり不良になってしまった中学MVPの三井寿の復帰。
それから高校1年時に三井とケンカして長期離脱していたグッドプレイヤー・宮城リョータが戻ってきて5人がそろいました。
全員我が強く、一筋縄ではいかないメンバーをまとめ上げ、湘北高校は神奈川県2位でインターハイに出場。
夢であった山王工業と2回戦で当たり、奇跡の大逆転で見事勝利。
3回戦で愛和学院高校に敗れた為、実績としてはインターハイ3回戦敗退。
という結果で終えました。
弱小・湘北高校でインターハイ出場を目標に練習を続けてきた赤木は正に雑草魂の塊です。
あまりの熱血ぶりに同じバスケ部のメンバーからバカにされたり、ついていけないと辞められることもありましたが、折れない心は流石。
と言えるでしょう。
また、赤木は山王戦の河田と対戦した時にあまりのレベル差に弱気になる部分もあり、周りから励まされることもあるなど可愛らしい一面も持っています。
スラムダンクその後。赤木剛憲がどうなったのか
高校3年になる前まではほとんど無名だった赤木。
ただ、神奈川県2位。
神奈川ベスト5に選ばれるなど、輝かしい結果を出したことでバスケット日本一の大学・深体大から推薦のオファーをもらうことが出来ました。
ただ、推薦を勝ち取るためにはインターハイベスト8になることが条件でした。
結果的に、湘北は3回戦で負けてしまった為、ベスト8には進むことができませんでした。
深体大の唐沢監督はベスト8に進めなかったとしても、赤木を獲ると明言していますが、山王工業の河田雅史にコテンパンにやられたこと。
様々な条件が重なってしまい、深体大にバスケ推薦で入ることは出来ませんでした。
なので、赤木は冬の大会の出場を断念し、大学受験をすることを決意。
スラムダンク・その後10日で受験勉強中に赤木がバスケをしたくてプルプル震えている。という描写まではありましたが、その後どうなったのかは分かりません。
ここからは私の推測になりますが、赤木は勉強もできる優秀な生徒です。
なので、受験でどこかの大学に入り、バスケを続けたことになるでしょう。
一般受験で深体大に入った可能性もありますし、学力の高い大学に進学したことも十分考えられますよね。
大学で活躍することで、赤木は後々プロになったかもしれません。
スラムダンクのその後を創造するのはとても楽しいです。
スラムダンクその後。赤木剛憲がどうなったのかまとめ
原作では、赤木剛憲はインターハイ3回戦負けとなり、ベスト8が条件だった深体大推薦の話は白紙に。
結果的に夏でバスケを引退し、受験勉強に励む描写までが描かれていた。
ここからは私の推測となるが、赤木はどこかの大学で活躍し、プロになると予想。
今、スラムダンクのその後続きを妄想して書いています。
是非、一度読んでみてください!
スポンサードリンク